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<title>私の国際関係学</title>
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<description>私の人生においての幾度かの途上国訪問の経験をエッセイ風に書き記し、私と国際学部との出会いを紹介するブログです。</description>
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<title>分からなくなった世界情勢の読み方②</title>
<description> ←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。２、冷戦とはなんだったのか冷戦とは、資本主義陣営と社会主義陣営の直接の戦争を伴わない対立。この両者のどちらに世界中の国が属するのかということが問われたのが冷戦であった。この、「陣取り合戦」に負ければ、自分達の体制が崩壊する。どちらにも属していない国への援助合戦が始まる。また、敵側陣営の中で政府に反対する組織があれば、その組織を援助する。ゆえに、世界各
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<![CDATA[ <a href="http://travel.blogmura.com/"><img src="http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 旅行ブログへ" /></a><br /><a href="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/"><img src="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/img/internationalcooperation88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 海外生活ブログ 国際協力へ" /></a>←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/i/image/v/278.gif"  class="emoji" style="border:none;" /><br /><br /><br />２、冷戦とはなんだったのか<br /><br />冷戦とは、資本主義陣営と社会主義陣営の直接の戦争を伴わない対立。<br />この両者のどちらに世界中の国が属するのかということが問われたのが冷戦であった。<br />この、「陣取り合戦」に負ければ、自分達の体制が崩壊する。<br />どちらにも属していない国への援助合戦が始まる。<br />また、敵側陣営の中で政府に反対する組織があれば、その組織を援助する。<br />ゆえに、世界各地で紛争が頻発。<br />代表的なものが<br />朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、アフガニスタン内戦。<br /><br /><br />ソ連がヤルタ会談で話し合われた約束を破棄することにより、アメリカのソ連への警戒心が育まれ、当時のトルーマン大統領がソ連封じ込め政策を始める。これがトルーマンドクトリン。<br />こうしてアメリカとソ連の対立体制が整えられていった。<br /><br />冷戦の直前、第二次世界大戦の末期にアメリカが原爆を開発、日本が最初の犠牲国となった。<br />その後、ソ連も原爆を所有、アメリカとソ連が対立する中で、核を使用すれば世界が破滅することは明確であったので、アメリカとソ連の間での戦争は回避された。その分、両陣営のにらみ合いが激化したのが、冷戦。<br />この両陣営は、アメリカ率いるNATO軍と、ソ連率いるワルシャワ条約機構となる。<br /><br />ヨーロッパは両陣営の均衡により、直接戦火を交えることはなかったが、アジアでは戦火があがった。<br />最初に朝鮮戦争。<br />日本が太平洋戦争で敗戦すると、ソ連が朝鮮半島に南下し、それに焦りを覚えたアメリカは南から上陸させた。こうして北緯38度を坂井に、南北のそれぞれの軍隊が分割占領するようになった。<br /><br /><br />次にベトナム戦争。<br />フランスから独立を果たそうとするベトナムは、インドシナ戦争を起こし、フランスと戦っていた。<br />そのフランスを支援したのがアメリカ。<br />独立しようとしたベトナムを支援したのがソ連と中国。<br />こうして、また一つの国の中に二つの人生が入り、国家分断。<br />ベトナム戦争ではアメリカが苦戦、アメリカ国内の世論もあり、アメリカは軍隊の撤退を行う。<br />こうしてアメリカが支援していた南ベトナム軍は崩壊、北ベトナムに合併された。<br />長い間フランスに占領されていたベトナムの国民の願いは一つ、<br />「外国の軍隊が存在しない自分たちだけの国を作りたい」<br />この願いを理解できず、世界を東西冷戦の枠組みの中でしか見ることが出来なかったアメリカ。<br /><br />朝鮮戦争、ベトナム戦争は、一方がアメリカ軍、もう一方がソ連の後押しを受けた国家や組織であったのに対して、アフガニスタンは逆。<br />ソ連が直接対決に乗り出した。<br />イスラム聖戦士たちをアメリカが支援し、パキスタンを通じて武器をアフガニスタンに送り込む。<br />ソ連はベトナムでのアメリカのように、大損害を出して撤退。ソ連に支援されていたアフガニスタン政府も崩壊。<br />こうしてアメリカの支援を受けていたゲリラたちによる内戦に突入していった。<br />アフガニスタンのゲリラたちは、共通のソ連という敵を失うと、宗派の違い、民族の違いを乗り越えることが出来ず、対立を始めたのであった。<br /><br />ベルリンの壁が崩壊すると、冷戦の終わりの兆しが見えた。<br /><br />そして、ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊。<br />冷戦が終わり、東欧諸国で政権交代が相次ぎ、社会主義の限界により、ソ連は崩壊。<br /><br />こうして、さまざまな地域で戦火を伴って、冷戦は崩壊。<br />ソ連が崩壊することによって、最後に残ったのはアメリカだけでった。アメリカの資本主義の勝利による物であると考え、市場の力を信じた。<br /><br />こうして、世界的な規模でグローバル資本主義と呼ばれる資本主義社会が始まった。<br /><br /><br />この後に、アメリカが支援した武器によって、アメリカ自らが傷つけられることはつゆ知らず。<br /> ]]>
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<dc:subject>国際学</dc:subject>
<dc:date>2009-05-06T00:16:50+09:00</dc:date>
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<title>分からなくなった世界情勢の読み方　池上彰著　要約　①　</title>
<description> ←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。　　冷戦が終わって世界情勢が読めなくなった2001年9月11日に起こった、アメリカ同時多発テロに象徴されるように、東西冷戦が終わってから、世界は突然不安定なものになった。東西の二つの大きな陣営に分かれて、にらみ合っていた事態が終わってから、湾岸戦争が始まり、旧ユーゴスラビアの内戦が始まった。冷戦中、東西の両陣営は世界の「陣取り合戦」でもあり、アメリカとソ連の
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<![CDATA[ <a href="http://travel.blogmura.com/"><img src="http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 旅行ブログへ" /></a><br /><a href="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/"><img src="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/img/internationalcooperation88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 海外生活ブログ 国際協力へ" /></a>←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/i/image/v/278.gif"  class="emoji" style="border:none;" />　　<br /><br /><span style="font-size:large;">冷戦が終わって世界情勢が読めなくなった</span><br /><br />2001年9月11日に起こった、アメリカ同時多発テロに象徴されるように、東西冷戦が終わってから、世界は突然不安定なものになった。<br />東西の二つの大きな陣営に分かれて、にらみ合っていた事態が終わってから、<br />湾岸戦争が始まり、<br />旧ユーゴスラビアの内戦が始まった。<br /><br />冷戦中、東西の両陣営は世界の「陣取り合戦」でもあり、アメリカとソ連の中間に位置する中東はその陣取り合戦の最前線となった。<br />そこで、中東諸国はアメリカやソ連からの援助の下、軍事力をつけていったのだった。<br />そうやって力をつけたのがイラクであり、そのイラクがクウェートに侵略したのが、湾岸戦争の始まりだった。<br />そこからイラクに対抗するために多国籍軍が結成され、イラク軍は降伏したのだった。<br /><br />また、旧ユーゴスラビアの内戦を起こさせたのも、ある意味で、アメリカ軍を中心とするNATO軍であった。<br />一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境を持っていたユーゴスラビアだったが、冷戦中はソ連への恐怖から団結し、共和国が存在していた。その後、冷戦の脅威がなくなり、ソ連が解体することによって、複雑だった民族感情、宗教意識が表に顔を出し、旧ユーゴスラビアは解体された。<br /><br />世界史は、民族と宗教の違いによる戦争、紛争の歴史でもある。<br />第二次世界大戦後の冷戦は、イデオロギーの違いによるにらみ合いだった。<br />「ベルリンの壁」崩壊によって「これで地球上に平和が来る」という期待は、民族、宗教の対立を再び招来するきっかけになってしまった。<br /><br />所感<br /><br />９・１１は、私の記憶にも新しい。<br />当時高3だった私は、予備校から帰宅し、テレビを見たとき、第一機目の飛行機が貿易センタービルに突撃した。<br />一瞬、操縦ミスだと思うしか、考えが及ばなかった。<br />その後、2機目の突撃、最後にはビルが崩れた。<br />私の進路を決める、重要なこの年に、事件は起きた。<br />そして、アフガニスタンへの侵攻が始まったのは年が明けるころだった。<br />私が進路を決めるこの年、私の生まれた国が世界中の注目を浴びたのだった。<br /><br />幼い頃、私の両親はよく、二人で湾岸戦争の話をしていた。そして、多国籍軍という単語は幼い私に世界情勢を考えさせるに足る十分な言葉だった。<br />多国籍に作られた軍隊。<br />多国籍。多くの国籍＝いろんな国。<br />いろんな国の人で作られた軍隊。<br /><br />それから私の人生は大きく変わった。<br />なぜ、人間は戦争を起こすのだろうか。<br />これが最大のテーマとなり、生涯をかけてでもこのテーマに取り組み、戦争のない世界を作る人になりたいと、国際学部での4年間を進むことを決めた。<br />私の原点アフガニスタンがきっかけで、私の生涯のテーマがついに見つかった事件が、皮肉にも9・11だったのだ。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>国際学</dc:subject>
<dc:date>2009-04-19T23:29:07+09:00</dc:date>
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<title>年に2度の援助</title>
<description> ←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。2004年に訪れたパラグアイの経験を生かして、私は年に二度、パラグアイに援助金を送っている。大学で国際学を学んでから、どうにかして日本でごみになっているものを世界に生かせるものにできないかなーーー？と、win-winの援助を模索していた私。そこで知ったのが、書き損じハガキや使わなくなった切手、そして今はあまり使われていないテレホンカードやパスモなどを換金して、そ
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<![CDATA[ <a href="http://travel.blogmura.com/"><img src="http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 旅行ブログへ" /></a><br /><a href="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/"><img src="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/img/internationalcooperation88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 海外生活ブログ 国際協力へ" /></a>←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/i/image/v/278.gif"  class="emoji" style="border:none;" /><br /><br /><br />2004年に訪れたパラグアイの経験を生かして、<br />私は年に二度、パラグアイに援助金を送っている。<br />大学で国際学を学んでから、どうにかして日本でごみになっているものを世界に生かせるものに<br />できないかなーーー？<br />と、win-winの援助を模索していた私。<br /><br />そこで知ったのが、書き損じハガキや使わなくなった切手、そして今はあまり使われていないテレホンカードやパスモなどを換金して、その金額をパラグアイに送っている。<br /><br />私がパラグアイを訪れたときにはパラグアイのエスペランサ村に中学校がなかったから、そこに学校を建てる援助をしたけれど、今は小学校、中学校ができたから、いよいよ、村での生活の充実化を図るようなプロジェクトになったようで、私が送った援助金は、村の街路樹を植える、植樹活動に使われている。<br />最初は、もっと援助っぽいことに使えないのかﾅｰーー？<br />って思ってたけど、<br />よく考えたら、温暖化にもいいし、どうやらそこに飢えている木自体が将来的に、経済効果をもたらすような木らしい。<br />そして、私たちが援助したお金で村の大通りが整備されたら、、、、、<br />うれしいﾅｰーーと思う。<br />村の人たちも、温暖化についてはもちろん、植樹の重要性なんて全く知らなかったけど、<br />毎年送られてくる写真やビデオを見ていると、本当に楽しそうに植樹していて、うれしそうだ。<br />この木が彼らの大地を守り、生活を守り、憩いの場を作ってくれることを願う。<br /><br />日本以外の国も、この村の発展に協力している。<br />たとえばアメリカも毎年青年ボランティア隊として、エスペランサ村に植樹をしに行き、村の人たちと交流している。<br />パラグアイの公用語はスペイン語！！ということで、スペインは、使われなくなった教科書をエスペランサ村に寄付しているらしい。<br />日本独自の何かで、ごみになりそうなものでも、世界に行けばいっぱい生かされるものがたくさんあるんだなーーーと。<br />改めて視野が広がった。<br />一人ができることは小さいことかもしれないけど、たくさんの人のアイディアとたくさんの人の努力が積み重なったとき、多くの人の人生を左右するくらい、大きなことができるようになるんだなーーーと思う。 ]]>
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<dc:subject>国際学</dc:subject>
<dc:date>2009-03-25T01:30:43+09:00</dc:date>
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<title>フィリピンの村出会い2006春　６</title>
<description> ←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。学校のペンキ塗りが終わると、私たちは３人のグループに分かれて、学校の先生たちに会った。先生たちの家にホームステイすることが決まっていたからだ。私たちがあったのは、おおらかな感じの先生。家は学校から車で１５分ぐらいらしい。学校を出て、私たちはタクシーに乗って、家に向かった。途中、ある門を通り抜けて、住宅街に入った。この門をくぐったと言うことは、この門の
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<![CDATA[ <a href="http://travel.blogmura.com/"><img src="http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 旅行ブログへ" /></a><br /><a href="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/"><img src="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/img/internationalcooperation88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 海外生活ブログ 国際協力へ" /></a>←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/i/image/v/278.gif"  class="emoji" style="border:none;" /><br /><br /><br />学校のペンキ塗りが終わると、私たちは３人のグループに分かれて、学校の先生たちに会った。<br />先生たちの家にホームステイすることが決まっていたからだ。<br />私たちがあったのは、おおらかな感じの先生。<br /><br />家は学校から車で１５分ぐらいらしい。<br />学校を出て、私たちはタクシーに乗って、家に向かった。<br /><br />途中、ある門を通り抜けて、住宅街に入った。<br />この門をくぐったと言うことは、この門の域内にある家は、高級住宅。<br />地域の中でも、格差が、門を隔てて広がっている。<br />門の中には、高所得の人たちが住む。<br /><br />私のホームステイ先も、高所得の家だった。<br />まあ、学校の先生だから、それなりに所得は高そうだけど。。。。<br />先生は女の先生だったから、夫婦共働きなのだろう。<br /><br />フィリピンではじめてみる、２階建ての家だった。<br />家でちょっとくつろいで、シャワーに入って、それから夕食を食べ終わった頃に、、、、、<br />ピンポーン<br />誰かと思ったら、他の先生と、その先生の家にホームステイに行った私たちの仲間。<br />一緒にちょっとしたパーティーのようになった。<br /><br />この地域の中でも、とくに裕福な家らしい。<br />家にあったカラオケセットで、カラオケ大会が始まった。<br />ふむ。。。。。<br />しばらくすると、もう一人、他の先生と、日本人がきた。<br />合計３グループが集まって、カラオケ大会。<br />歌を聴くもあり、先生たちと交流するもあり、<br />写真を取り巻くって、遊ぶもあり、フィリピン式、カードゲームをするもあり。<br /><br />食べきれないほどのお菓子やケーキも出てきた。<br />こんな時間にこんなに食べたら、、、、太る。。。。。<br />それまでは甘いもの、脂っこいものも、ある程度好きだったが、、、、<br />このときを境に、甘いものをそんなに好き好んで食べることはなくなった。<br />それくらい、この夜には、たくさんのケーキやチョコ、お菓子を食べた。<br />食べ過ぎた。<br /><br />そして、他の先生と日本人は帰り、私たちも子供部屋に入って、子供たちのベットと、床に何枚かのマットレスをしいて、就寝準備に入った。<br /><br />その頃、一人の日本人の子に呼ばれて、小一時間家のテラスで、今後のことについて語り合った。<br />高校生なのに、独自の路線で、フィリピンの支援プロジェクトを立ち上げている子だ。<br />今後、どのようにしてフィリピンとの関係を保ちながら、大学に進もうかと言う相談だった。<br />はっきり言って、どのように答えたかは、、、、よく覚えていない。<br /><br />数日前には、半分に割った竹の上でごろ寝をし、今はこうして、ふかふかのベットのうえで寝る。<br />同じ国、<br />車で数時間は知ったところ。<br /><br />全く違った環境でも、ここでであった人の温かさは、同じだった。<br /><br />フィリピン人にある時、インタビューしたことがある。<br />世界に誇れるフィリピンとは、どんな側面かと。<br />決まって、出てきた答えが、<br />ホスピタリティだった。<br />そう、人をもてなす心、姿勢が、とってもいい。<br />私はこうして、いろいろな人に触れ合うごとに、フィリピンに引かれ、<br />いつか、ここに住みたいと思うようにまでなった。<br />ここに住んで、こんな人たちとずっと一緒にいたいと思うようになった。<br />なるほど、ホスピタリティだ。 ]]>
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<dc:subject>旅行記</dc:subject>
<dc:date>2009-01-31T23:31:06+09:00</dc:date>
<dc:creator>トッポジージョ14</dc:creator>
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<title>フィリピンの村出会い2006春　5</title>
<description> ←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。次のミッションはもう少し都市にある学校でのミッション。車で何時間か移動し、電線の通る、アスファルトで道路が塗装されている村に到着した。立派な学校に入ると、さっそく私たちを歓迎知れくれるセレモニーが始まった。校長先生の挨拶、子供たちのダンス。女の子たちは、お花のようなダンス。男の子たちは、フィリピンの独立を勝ち取ったホセ・リサールという英雄のストーリー
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<![CDATA[ <a href="http://travel.blogmura.com/"><img src="http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 旅行ブログへ" /></a><br /><a href="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/"><img src="http://overseas.blogmura.com/internationalcooperation/img/internationalcooperation88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 海外生活ブログ 国際協力へ" /></a>←ブログを広めるためにクリックにご協力ください。<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/i/image/v/278.gif"  class="emoji" style="border:none;" /><br /><br />次のミッションはもう少し都市にある学校でのミッション。<br />車で何時間か移動し、電線の通る、アスファルトで道路が塗装されている村に到着した。<br /><br />立派な学校に入ると、さっそく私たちを歓迎知れくれるセレモニーが始まった。<br />校長先生の挨拶、子供たちのダンス。<br /><br />女の子たちは、お花のようなダンス。<br />男の子たちは、<br />フィリピンの独立を勝ち取ったホセ・リサールという英雄のストーリーが描かれたダンスだった。<br />最後には胸に仕込んであった血糊に剣をさして、ホセ・リサールが倒れる。<br />独立を勝ち取る代わりに、ホセ・リサールはこの世をさった。。。。。はず。<br />詳しい歴史の流れは忘れてしまったが。<br /><br />そんなダンスを小学校の低学年くらいの男の子たちが踊ることに、私はカルチャーショックを覚えた。<br />日本だったら、せいぜい運動会で踊るミッキーマウスマーチだろう・・・・・。<br /><br />さて、セレモニーが終わると、いくつかのグループに分かれて、作業が始まる。<br />私は、教室の中のペンキ塗り。<br /><br />先ほどのダンスで踊っていた女の子が近づいてきたから、<br />ダンス、上手だったね。とほめてあげたら、なついてくれたのか、<br />それから作業をずっと一緒にやった。<br />いわゆる、私たちはベストフレンドになったらしい。<br />言葉はあまり通じない。<br />子供たちは英語を授業でやるが、小学生が習う程度。<br />私も、英語はまだ片言。<br /><br />笑顔と、全身で会話しながら、ペンキ塗りをした。<br />時には鼻の頭やほっぺたにペンキをつけてふざけあったりしながら。<br /><br />教室内の作業が終わると、外に出て、屋根のペンキ塗りも手伝った。<br /><br />ふと、白いハツカネズミをもった男の子が近づいてきた。<br />たいていの女性は、ねずみをみたら、怖がって逃げてしまうから、<br />それを私に期待したのか、その男の子は、私の目の前にねずみを連れてきた。<br />私は、残念ながら、ねずみに興味を持ってしまったので、ねずみと一緒に遊んだ。<br /><br />男の子は、私が貼り付けてあげた熱さまシートがやけに気に入ったらしい。<br />湿気の多い、熱気を帯びたこの地には熱さまシートが気持ちいい。<br /><br />子供たちと交わした言葉は、いまだに私の頭の中で、擬音語がインプットされている。<br />でもとても楽しい時間だった。<br />どこにいっても、私たちがプロジェクトをするときには、子供たちが手伝ってくれる。<br />何の見返りも求めずに、まるで私たちとの交流を楽しむかのように。<br />子供たちは、確実に、遊んでいた。<br />だから、私も、プロジェクトを仕事だと思えない。<br />私も、子供たちと一緒になって遊んでいるように感じる。<br />だから、高いお金を払ってでも、無邪気な子供たちに会いに行きたくなるし、<br />一緒に遊びに行きたくなる。<br /><br />人が高いお金を払ってハワイに行って休暇をとるのと一緒だ。<br />私の心のバランスを取れるのが、ハワイではなくて、たまたま、このようなプロジェクトだったから、<br />私にヒットしたのだろう。<br />これが、仕事にできたら、一生遊んで暮らしているような感覚になる。<br /><br />そんなことはさておき、きれいになった学校で子供たちがさらに勉強し、<br />将来のフィリピンの国家を背負ってたつことを考えると、楽しみになった。<br /> ]]>
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